仕事を子どもの隣でする暮らし

子連れワーキング"co + しごと" を提唱する「tsu.wa.ru」Principal(代表) 山田郁子のブログ。

子連れワーキングのきっかけ①【会社員からフリーランスへ】

こんにちは!

子連れワーキング ‟co+しごと”を提唱・実践する『tsu.wa.ru』代表の山田です。

 

今回から数回に分けて、子連れワーキングのきっかけを書かせていただこうと思います。

 

前回(↓)のブログでも書かせていただきましたが、子連れワーキングをしようと思った1番の理由は「子どもの側にいたい」です。

ikuko-tsuwaru.hatenablog.com

 

 

ただ、子連れワーキングをしよう! と思い至ったのも、

現実に子連れワーキングができているのも、

自身がフリーランスだったから、というのも大きいな、と。

 

そこで、1回目は フリーランスを選んだきっかけ をここに綴ろうと思います。

 

ーーーーーーーーここから先は暗い話が含まれますので. 苦手な方はスルーくださいませ。ーーーーーーーー

 

 

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実は、長女は二番目の妊娠で生まれた子です。

初めての妊娠で授かった子は流産をしてしまったのです。

 

その時の私は出版社で深夜4時、5時帰りが当たり前、という本当に不規則な生活をしていました。

折しも友人たちも妊娠・出産ラッシュだったため、

そんな生活を過ごしていたわたしも「妊娠したら当たり前に出産できるものだ」と高を括っていたように思います。

 

妊娠発覚時点で深夜帰りは改めたものの、変わらず仕事はバリバリしていました。

 

最初、わたしは分娩施設のないレディースクリニックで診てもらっていたため、

分娩するためには別の病院を紹介してもらう、という形。

 

レディースクリニックの先生から「そろそろ分娩予約しなきゃね」と紹介状をもらい、

その数日後に分娩を希望していた総合病院に出向いたのです。

 

そして事件は起こりました。

 

超音波検査をしていたお医者さまがひとこと。

「心臓が動いていない。あとは看護士から話します」

とても事務的で無機質な声が響きました。

 

心臓が動いていない? 動いていないってどういうこと?

 

その後の記憶はありません。

ただ、転院前のレディースクリニックで

もう一度超音波検査をしてもらったことだけ覚えています。

 

何かの間違いじゃないか。

超音波エコーの機械が壊れていたんじゃないか。

きっとそうだ、赤ちゃんは生きている。生きているに決まっている!

当時の私は、きっとそう思っていたんだろうと思います。

 

でも結果は覆らず。

数日後、手術で赤ちゃんとお別れしました。

 

それからは、ずっとずっと自分を責め続ける日々…。

どうして出版業界で仕事をしてしまったんだろう。

なぜ、あんな不規則な生活を繰り返してしまったのか。

きちんとした生活をしていなかったから。

親になる資格がなかったから。

だから赤ちゃんが愛想をつかしていなくなってしまったんだ、と。

 

『気分が落ち込んでいると世界は灰色に見える』

 

そんなことを聞いたことがありましたが、

当時は何を見ても本当に灰色に見えていました。

 

何をしていても涙が出てくるのです。

笑っている人を見れば、「なぜこの人は笑っているんだろう」。

街中で赤ちゃん連れの親子を見たり

元気に遊ぶ子どもを見かけたり、子どもの話を聞くと

流産した子のことを思い出してしまうのです。

 

外に出て、人に会うのが怖かった。

外に出なければならない日には、とにかく急いで用を済ませ、走って家に帰り。

逃げ込むように家の中に駆け込んだ後、玄関にへたり込み、ただただ声を出して泣いていました。

 

そんな日々が数か月―—。

ようやくショックも和らいできた頃。

 

やっぱり仕事をしたい。

 

そんな気持ちがわいてきたのです。

不思議ですね。

でも、以前のようには無茶な働き方はしたくない、とも強く思いました。

そこで会社員で働くのではなく、フリーランスとして働くことを決めたのです。